2016年02月17日

信濃国一宮〜諏訪大社

一の宮、二の宮、三の宮の神社の格付けがされたのは平安時代の頃らしい・・・のですが、昔から、旅先で看板などを見つけるとつい寄り道をしたくなるのが一の宮でした。

信濃(しなの)の国とは、今の長野県です。

諏訪大社(すわたいしゃ)は、全国一万社あるといわれる諏訪神社の総本社です。諏訪湖の南に上社、北に下社が鎮座し、上社は本宮と前宮、下社は春宮と秋宮の計四社をいいます。

由緒書きによれば、主祭神は「建御名方神(タケミナカタノカミ)」「八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)」。そして本宮には「八重事代主神(ヤエコトシロヌシノカミ)」が合祀されています。と一般的にはなりますが、個々には、上社本宮に「建御名方神」、上社前宮に「八坂刀売神」、下社春宮と秋宮は「建御名方神と八坂刀売神」であり、春宮と秋宮には御祭神が交互に鎮座(二月と八月に遷座祭が行われる)するという変わった形態をとっています。
建御名方神は古事記で国譲り神話で登場します。天照大神から使者として使わされた建御雷神(タケミカズチノカミ)に対し、父神の大国主命と兄神の事代主神は国譲りをまあまあ了承しますが、建御名方神は反抗します。結果、敗れて科野(しなの)の国の洲羽海(諏訪湖)に逃げ、そこから出ないことを条件に許されたとあります。ですがこの話は、日本書記にはありません。
八坂刀売神は妃神であります。ある文献では海部(あま)族の娘であったとのことです。

上社本宮。↓
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上社前宮。↓
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下社春宮。↓
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下社秋宮。↓14102503秋宮A鳥居.jpg

諏訪大社は不思議がいっぱいです。まず諏訪大社の七不思議というのがあります。細かくは忘れてしまったのですが、諏訪湖の御神渡り(冬に諏訪湖が凍ってせり上がる現象)もたしかその一つだったと思います。祭神のタケミナカタは地元神のモレヤ神(ミシャグチ神とも)と天竜川で戦って勝ったという話。モレヤ神はタケミナカタ以前の地神であったと云われています。そして上社・下社にはそれぞれに御射山神社がありミシャグチ神を祀っているという話、御柱祭りの柱は御射山から調達していたということ、一番古いと云われる下社前宮は守屋山を神奈備(神の山)としますが、本宮の拝殿はこの前宮を拝む形になっていて、じつは、根底はミシャグチ神を祀っているという話などなど。本当のことなど分かるはずはなく謎は謎でいいのではないかとも思います。
諏訪大社の奇祭に御柱祭りがあります。山から御柱を伐採し神社まで曳行し社殿の四隅に建てるお祭りで、上社下社の四つの社の計16本の柱をそれぞれ曳いて建てることになります。坂あり(木落し)川あり(川越し)でそれは勇壮なお祭りです。ずっと昔、岡谷に友達がいてこのお祭りを見たことがあり、ちょこっとですが柱を引いた思い出もあります。といってもその時は何の祭りかも知らずにいてあとになって御柱祭りの「里曳き」だったんだということを知りました。

下社本宮の一の御柱。↓
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今年は申年、七年に一度の「御柱祭り」の年です。諏訪もにぎやかな年になることでしょう。わーい(嬉しい顔)

posted by ペコム at 18:25| 一の宮

2015年12月26日

豊前国一宮〜宇佐神宮

一の宮、二の宮、三の宮の神社の格付けがされたのは平安時代の頃らしい・・・のですが、昔から、旅先で看板などを見つけるとつい寄り道をしたくなるのが一の宮でした。

豊前(ぶぜん)の国とは、豊国(とよのくに)を分割したもので今の大分県の北部と福岡県の東部(小倉、門司)を含みます。明治になって小倉、門司は福岡県に編入されますが、小倉、門司の人たちは福岡とは違うと地元の人は言ってました。その時は、博多と福岡の違いのようなものかな?と思っていたのですが、このあたりに起因しているのかなと今は思います。

宇佐神宮(うさじんぐう)は、全国にある八幡社(約四万社といわれる)の総本宮です。境内は広く数多くの神社があり国宝の本殿は左から一の御殿、二の御殿、三の御殿と並ぶ八幡造りと呼ばれています。

由緒書きによれば、主祭神は「八幡大神(ハチマンオオカミ)」「比売大神(ヒメオオカミ)」「神功皇后(ジングウコウゴウ)」。
八幡大神は「応神天皇」のこと、比売大神は「多岐津姫命、市杵嶋姫命、多紀理姫命で宗像三女神」のこと、神功皇后は応神天皇の母でおよそ全国の八幡と名の付く社宮では応神天皇と共に祀られています。

社号標と鳥居。↓
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西大門。↓
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拝殿。左から一の御殿、二の御殿、三の御殿と並んでいます。
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真ん中の二の御殿の勅使門。↓
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外宮の本殿。隣には外宮があり同じ神様が祀られています。
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余談ですが、宇佐神宮といえば弓削道鏡の神託事件。境内に宇佐神宮の成り立ちを分かりやすい絵物語にしたコーナー(有料)があって見ることができます。そして、神託事件の顛末も解説されていました。境内の一角には和気清麻呂を祀った神社もあります。その事件はいろいろな説(通説は道教が天皇の座を狙った事件とされています)がありますが、いわゆる取り巻きの権力争いであったのであろうと思います。それよりもご神託が伊勢神宮ではなくなぜ宇佐神宮なのか?というのが不思議な気がして興味深いことであります。

絵物語の一部
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おまけの余談。宇佐は「唐揚げ」がうまいと聞き道路沿いにあった唐揚げ専門店に飛び込んで購入しました。注文してから揚げますので揚げたてが食べられます。これがアツアツで非常にうまかったのであります。わーい(嬉しい顔)
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posted by ペコム at 17:59| 一の宮

2015年10月07日

三河国一宮〜砥鹿神社

一の宮、二の宮、三の宮の神社の格付けがされたのは平安時代の頃らしい・・・のですが、昔から、旅先で看板などを見つけるとつい寄り道をしたくなるのが一の宮でした。

三河(みかわ)の国とは、今の愛知県の東部です。

砥鹿神社(とがじんじゃ)は、三河の国の一番高い山である本宮山(標高789メートル)を神奈備(神の山)として社殿を建立した記されます。本宮山には奥社が麓には里宮が鎮座し里宮の所在地は一宮町ですが今は豊川市に吸収合併されました。

由緒書きによれば、主祭神は「大己貴命(オオナムチノミコト)」。
神代に大己貴命が国土を治められ、当国第一の高山、本宮山にお鎮まりになり、諸国を経営したとされ、それ故に止所(とが)の名より転じて砥鹿の字を当てるようになった・・と伝えられています。

里宮、鳥居。↓
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里宮、拝殿。↓
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里宮、お祓いの様子。
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日本一大きいとされる「さざれ石」。↓
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国府があった豊川は近くで三河の中心地であったと思われます。豊川稲荷がありますが「稲荷」と名が付いていますし鳥居も立っていますが神社ではなくお寺です。正しくは妙厳寺(みょうごんじ)で稲荷として祀られているのは「吒枳尼真天(だきにしんてん)」という仏様です。神仏習合でお稲荷さまと同一視されるようになったもので大国主が大黒様と同じというのと似ています。
三河はやっぱり徳川家康ですね。岡崎は出生地ですし先祖の松平家の菩提寺(大樹寺)もあります。岡崎から足助に抜ける足助街道から挙母街道へ入ると松平氏発祥の地の松平郷があります。一度訪れてみたい所ですが何となく時間をとってのんびり歩きたいと思っているのでまだ行ってません。ふらふら

岡崎城。↓
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大樹寺。奥から松平家初代〜八代の墓、一番手前は家康で後から追加したとのこと。↓
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足助の町並み。↓15091201足助H街並み.jpg

posted by ペコム at 10:13| 一の宮

2015年09月27日

丹後国一宮〜元伊勢籠神社

一の宮、二の宮、三の宮の神社の格付けがされたのは平安時代の頃らしい・・・のですが、昔から、旅先で看板などを見つけるとつい寄り道をしたくなるのが一の宮でした。

丹後(たんご)の国とは、今の京都府の北部です。日本海に接する丹後半島の一帯を丹波の国から分立しました。この辺りは丹後王国があったのでは・との説もあるほど古代は栄えていたようです。

元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)は、日本三景の天橋立の根元に鎮座していますが天橋立は参道であったともいわれます。伊勢神宮に祀られている天照大神と豊受大神は、昔、吉佐宮(よさのみや、現籠神社奥宮の眞名井神社)に祀られていましたが、両神が伊勢に遷られてのち社名を籠宮(このみや)と改めそのため「元伊勢」として呼ばれている・とのことです。延喜式の明神大社であります。

由緒書きによれば、主祭神は「天照国照彦火明命(アマテルクニテルヒコホアカリノミコト)」。相殿に「豊受大神(トヨウケノオオカミ)」「天照大神(アマテラスオオカミ)」「海神(ワタツミノカミ)」「天水分神(アメノミマクリノカミ)」。
そして、奥宮の眞名井神社(まないじんじゃ)には、「豊受大神」「天照大神」「伊射奈美大神」「罔象女命(ミズハメノミコト)」「神代五代神(カミヨイツツノヨノカミ)」が祀られています。

天照国照彦火明命は、天孫ニニギの兄ともいわれる火明命のことであろうと思われます。一説では天照国照彦天火明命櫛玉饒速日命、つまり饒速日(ニギハヤヒ)と同神とも言われます。豊受大神と天照大神は伊勢神宮の外宮と内宮の神様で、海神は安曇族の祖神で海の神、天水分神は分水嶺の水神でイザナミ、イザナギの孫神にあたります。
罔象女命は、たぶん、弥都波能売神(ミツハメノカミ)のこと?で、神代五代神は、別天神(ことあまつかみ)と呼ばれる五神のこと?かなと思います。別天神は最初に現れた五神で「天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)」「高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)」「神産巣日神(カミムシヒノカミ)」「宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジノカミ)」「天之常立神(アマノトコタチノカミ)」を言います。ですから神様の中でも最初の古い神様が並びます。

篭神社の鳥居。↓
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神門と奥に見える拝殿。↓
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木に囲まれた本殿。↓
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この日、結婚式が行われていました。↓
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裏手にある奥宮の真名井神社。↓
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これ以降は撮影禁止となっていてその先に見える拝殿。↓
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奥宮の眞名井神社の社は撮影禁止となっていましたので写真は遠慮しました。拝殿の裏にはいくつかの磐座(いわくら)があって古い形の祀り方となっていました。籠神社で特筆すべきは、宮司の海部氏の系図(国宝)でしょうか。彦火明命から延々と続く2000年の系図、もちろん見たことはありませんが、そういうものがあるということ自体が驚きなのです。

天橋立を三度目に訪れて初めて歩いてみました。おまけはその景色にいたしましょう。
黒松の松並木が続く道。一か所だけさざんかが咲いていました。↓
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浜辺の景色。↓
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並木道でシロハラが・・。↓
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湾内ではホオジロガモの姿(左メス、右オス)が・ありました。↓15032907ホオジロガモ.jpg

おまけのおまけで、天照大神が伊勢に落ち着くまでのお話しです。
天照大神は天皇の大殿に祀られていましたが、天皇の命により豊鍬入姫命が斎王(天照大神を祀る巫女)となり大神の安住する場所探しをすることになりました。倭国の笠縫邑(かさぬいむら)に始まって丹波の与佐宮(元伊勢籠神社とされる)へ移りその後、あっちこっちへ移動した・とあります。途中、斎王は倭姫命に引き継がれていきますが伊勢に着くまでに巡ったところは、10ケ国・25ケ所(26という説もあります)も経ています。何故、こんなに廻らなければならなかったのか不思議に思います。きっといろいろな事情があったんでしょう〜といろいろな想像を掻き立てられる物語であります。わーい(嬉しい顔)

posted by ペコム at 12:01| 一の宮

2015年09月03日

紀伊国一宮〜日前国懸神宮

一の宮、二の宮、三の宮の神社の格付けがされたのは平安時代の頃らしい・・・のですが、昔から、旅先で看板などを見つけるとつい寄り道をしたくなるのが一の宮でした。

紀伊(きい)の国とは、今の和歌山県と三重県の南部を含む地域です。今は熊野川が県境となっていて熊野市は三重県ですが昔は紀伊の国でした。さらに古代には紀伊半島の南部は熊野国造がいて熊野の国があったのではないかと云われています。

日前国懸神宮(ひのくまくにかかすじんぐう)は、日前神宮(ひのくまじんぐう)と国懸神宮(くにかかすじんぐう)の二つの神社が同じ境内に並んで鎮座しているという神社です。二つは別々の社格なのですが両社とも延喜式で明神大社に記載される古社であります。
由緒書きによれば、主祭神は・・、
日前神宮は「日前大神(ヒノクマノオオカミ)こと日像鏡(ひがたのかがみ)」。
国懸神宮は「国懸大神(クニカカスノオオカミ)こと日矛鏡(ひぼこのかがみ)」。
社伝によると、石凝姥命(イシコリドメノミコト)が天の岩戸の前で、日像鏡、日矛鏡、そして「三種の神器」である八咫鏡を製作し、三体とも天孫降臨の際にもたらされた。天道根命(アマノミチネノミコト)が紀伊国造に任ぜられ、日像鏡を日前神宮に、日矛鏡は国懸神宮へ、それぞれ御霊代としてお祀りしたのが両宮の創祀である・・とのことです。

社号標と鳥居。↓
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案内立札。↓
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日前神宮。↓
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国懸神宮。(たぶん同じ造りと思われます)。↓
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国懸神宮の拝殿。↓
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国懸神宮の本殿。↓
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そして、相殿には・・、
日前神宮は「思兼命(オモイカネノミコト)、石凝姥命(イシコリドメノミコト)」。
国懸神宮は「玉祖命(タマノオヤノミコト)、明立天御影命(アケタツアメノミカゲノミコト)、鈿女命(ウズメノミコト)」。が祀られています。
明立天御影命を除けば天の岩戸に登場する神様で、いずれも祭祀氏族の神様です。

一方、神宮を創祀した天道根命は、一書によると十種の神宝を持って天降りした「饒速日命(ニギハヤヒノミコト)」のお伴の内の一人ということです。古事記には、東征するイワレビコに帰順したと伝えられるニギハヤヒですが、神武天皇に紀伊国造を命じられたという天道根命はニギハヤヒの従者というのも興味深いことです。

紀州というとまずは徳川御三家八代将軍吉宗が頭に浮かびますが、高野山も熊野古道もあるのです。高野山はまた別の機会(四国八十八ヶ所巡礼エピソード)があるでしょうから、熊野をおまけの話とします。
熊野には熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)があって熊野詣と呼ばれるほど信仰篤い地であり、しかも天皇(正確には上皇)が詣でたほどなのに何故「一の宮」ではなかったのでしょうか。本宮大社は、延喜式で明神大社に列せられていますので一応それなりに格式は認められていたと思いますので余計に不思議に思うのです。冒頭でも記したように、もし、熊野の国があったなら「熊野の国一の宮」となっていたのかな、と思いますし、そのあたりに事情があるのかもしれません。熊野はまことに興味深い地であります。そして熊野古道を歩いてみたいな・、と思っているこの頃です。わーい(嬉しい顔)

熊野本宮大社。↓
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熊野本宮大社の旧社地大斎原にある大鳥居。↓
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posted by ペコム at 08:33| 一の宮