2018年07月22日

遍路エピソード〜高野山町石道(1)

梅雨の晴れ間の6月半ば、四国遍路の仕上げに高野山に登ってきました。

四国の八十八ヶ所と高野山のつながりはもちろん弘法大師です。四国遍路には最低限のルールがありますが、最後に高野山の奥の院にお礼参りをするのが最後のルールです。高野山へは車でも行けますし電車とケーブルでも行けます。が、もちろん歩いて行くことを目指しました。その徒歩道も七つあるようですが、一番ポピュラーで表参道となる「大門口(町石道)」を行きました。

町石道はどう読むんでしょう?・・・難しいですねぇ〜、私は読めませんでした。この道には一町(約109m)ごとに石が立てられているのでこの名がついているのです。ですので一町(ちょう)ごとに石(いし)が立っている道(みち)ということで町石道(ちょういしみち)と読みます。空海が木製の卒塔婆を建てて道しるべにしたのが始まりで鎌倉時代になって朽ちた木の代わりに石で作った五輪塔になりました。高野山の根本大塔から麓の慈尊院まで180町石を建てて、しかも胎蔵界180尊にあててありますので梵字が刻まれている五輪塔の町石はそれぞれが仏様にあたるとされます。本来なら1町ごとに読経をしなければならないのかもしれません。
単純計算で180町×109m=約20キロの山道となります。一日がかりの道行です。高野山に泊まるのならそれほど気にすることもないのでしょうが、車中泊の貧乏旅では車に戻らなければなりませんから往復で考えなければなりません。できるだけ朝早くの出発を考えて慈尊院を5時に出立することにしました。何の根拠もないのですが、大門には早くて12時、遅くても14時に到着かな?と目標を設定していざ出発です。

町石道の起点となる慈尊院。
18061306慈尊院A.jpg

慈尊院は女人高野で有名です。おっぱい絵馬が象徴的です。
18061309おっぱい絵馬.jpg

慈尊院の境内の先に丹生神社があります。明治以前は神仏混合でしたからお寺の中に神社があっても不思議ではありません。その神社への階段の途中に180町石があります。ここが町石道の起点となります。
18061308町石道C.jpg

鳥居の横に道があり起点となる町石も見えました。
18061308町石道A.jpg

町石には百八十町と刻んでありました。
18061308町石道B.jpg

と、今回はここまでにして・・・、昔の船着き場の紹介です。慈尊院から真っ直ぐ行くと紀の川にぶつかります。昔はここまで船で来て高野山に向かったとのことです。今は面影はありませんでしたが、わずかに石部りや高野街道の道標がありました。

紀の川と船着き場の跡。
18061304紀の川A.jpg

船着き場から真っ直ぐに慈尊院はありました。
18061305慈尊院へ.jpg

近くには高野街道の道標がポツンと・・・。
18061305慈尊院へB.jpg

そして慈尊院の正面へ。
18061305慈尊院へC.jpg


posted by ペコム at 10:18| 遍路エピソード