2015年09月27日

丹後国一宮〜元伊勢籠神社

一の宮、二の宮、三の宮の神社の格付けがされたのは平安時代の頃らしい・・・のですが、昔から、旅先で看板などを見つけるとつい寄り道をしたくなるのが一の宮でした。

丹後(たんご)の国とは、今の京都府の北部です。日本海に接する丹後半島の一帯を丹波の国から分立しました。この辺りは丹後王国があったのでは・との説もあるほど古代は栄えていたようです。

元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)は、日本三景の天橋立の根元に鎮座していますが天橋立は参道であったともいわれます。伊勢神宮に祀られている天照大神と豊受大神は、昔、吉佐宮(よさのみや、現籠神社奥宮の眞名井神社)に祀られていましたが、両神が伊勢に遷られてのち社名を籠宮(このみや)と改めそのため「元伊勢」として呼ばれている・とのことです。延喜式の明神大社であります。

由緒書きによれば、主祭神は「天照国照彦火明命(アマテルクニテルヒコホアカリノミコト)」。相殿に「豊受大神(トヨウケノオオカミ)」「天照大神(アマテラスオオカミ)」「海神(ワタツミノカミ)」「天水分神(アメノミマクリノカミ)」。
そして、奥宮の眞名井神社(まないじんじゃ)には、「豊受大神」「天照大神」「伊射奈美大神」「罔象女命(ミズハメノミコト)」「神代五代神(カミヨイツツノヨノカミ)」が祀られています。

天照国照彦火明命は、天孫ニニギの兄ともいわれる火明命のことであろうと思われます。一説では天照国照彦天火明命櫛玉饒速日命、つまり饒速日(ニギハヤヒ)と同神とも言われます。豊受大神と天照大神は伊勢神宮の外宮と内宮の神様で、海神は安曇族の祖神で海の神、天水分神は分水嶺の水神でイザナミ、イザナギの孫神にあたります。
罔象女命は、たぶん、弥都波能売神(ミツハメノカミ)のこと?で、神代五代神は、別天神(ことあまつかみ)と呼ばれる五神のこと?かなと思います。別天神は最初に現れた五神で「天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)」「高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)」「神産巣日神(カミムシヒノカミ)」「宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコジノカミ)」「天之常立神(アマノトコタチノカミ)」を言います。ですから神様の中でも最初の古い神様が並びます。

篭神社の鳥居。↓
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神門と奥に見える拝殿。↓
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木に囲まれた本殿。↓
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この日、結婚式が行われていました。↓
15032910この神社C花嫁.jpg

裏手にある奥宮の真名井神社。↓
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これ以降は撮影禁止となっていてその先に見える拝殿。↓
15032911真名井神社G拝殿.jpg

奥宮の眞名井神社の社は撮影禁止となっていましたので写真は遠慮しました。拝殿の裏にはいくつかの磐座(いわくら)があって古い形の祀り方となっていました。籠神社で特筆すべきは、宮司の海部氏の系図(国宝)でしょうか。彦火明命から延々と続く2000年の系図、もちろん見たことはありませんが、そういうものがあるということ自体が驚きなのです。

天橋立を三度目に訪れて初めて歩いてみました。おまけはその景色にいたしましょう。
黒松の松並木が続く道。一か所だけさざんかが咲いていました。↓
15032935松並木とさざんか.jpg

浜辺の景色。↓
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並木道でシロハラが・・。↓
15032905シロハラA.jpg

湾内ではホオジロガモの姿(左メス、右オス)が・ありました。↓15032907ホオジロガモ.jpg

おまけのおまけで、天照大神が伊勢に落ち着くまでのお話しです。
天照大神は天皇の大殿に祀られていましたが、天皇の命により豊鍬入姫命が斎王(天照大神を祀る巫女)となり大神の安住する場所探しをすることになりました。倭国の笠縫邑(かさぬいむら)に始まって丹波の与佐宮(元伊勢籠神社とされる)へ移りその後、あっちこっちへ移動した・とあります。途中、斎王は倭姫命に引き継がれていきますが伊勢に着くまでに巡ったところは、10ケ国・25ケ所(26という説もあります)も経ています。何故、こんなに廻らなければならなかったのか不思議に思います。きっといろいろな事情があったんでしょう〜といろいろな想像を掻き立てられる物語であります。わーい(嬉しい顔)

posted by ペコム at 12:01| 一の宮

2015年09月19日

ダブルレインボー

昨日(9月18日)午後4時過ぎ、安曇野にダブルレインボーが出現しました。
といっても私は見ることのできない状態なのでした。

2年前に腫瘍が見つかり摘出手術をしましたが、その後は、経過観察で定期検査をする身となりました。昨日はその日で内視鏡検査のためにクリニックを訪れていました。麻酔を受けて検査を待っているその時に、虹が出たそうです。
もれ聞こえてくる看護婦さんたちの声は興奮気味で、完璧な半円で七色もはっきりとしかも二重構造のきれいな虹が見えている様子です。二重の虹はダブルレインボー、幸運の虹、見た人は幸運が訪れるといいます。私はまだ見たことがないのでぜひ見たいものだ、と思いますが、なにせ麻酔の最中、出てゆくわけにはまいりません(笑)。

そのダブルレインボーは、事務受付嬢のお二人の方(なっちゃん&マシュちゃん)がスマホで撮影したものを見せてもらいました。以下その写真です。わーい(嬉しい顔)

見事な半円の虹。↓
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片方の端側までしっかりと。↓
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七色もくっきりと見えます。↓
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しかもダブルのレインボー。↓
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検査終了後、表に出て私が見た虹は、根元に残る残照のみで二重も半円もすでにありませんでした。↓
15091801虹.jpg

幸運の虹、ダブルレインボー。いつか遭遇できればいいなと思います。ふらふら


posted by ペコム at 17:47| その他いろいろ

2015年09月11日

ひも付き財布

先月のことでした。出かけ先で財布を落としてしまいました。

気付いた時は「あとの祭り」。どこで落としたのか分かりません。ま、分かっていたら探しに行きます(笑)。車の予備キー、クレジットカード2枚、JAFカード、名刺などなど、そして現金が入っていたので多分出てこないでしょう。もうやだ〜(悲しい顔)

ジーパンの後ろポケットに入れていたこともあったのでいつか落とすかもしれないと思ってはいました。昔、鎖付の財布を腰につけていた若い人を見かけてかっこつけて・・なんと大げさな・・と思ったことがありましたが、あれが正解でした。落とすかもしれないと思ったときにすぐ対応すればこんなことにはならないのですが、遅まきながらひも付き財布にすることにしました。
と言っても、落下防止のひも付きの財布はなかなか売っていなくて見つかりません。で、自作でひもを付けました。↓
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落下防止のひも先をズボンの腰やバッグなどにつけなければ意味がなくなりますが、あとはこまめに実施するだけです。わーい(嬉しい顔)

posted by ペコム at 17:15| その他いろいろ

2015年09月03日

紀伊国一宮〜日前国懸神宮

一の宮、二の宮、三の宮の神社の格付けがされたのは平安時代の頃らしい・・・のですが、昔から、旅先で看板などを見つけるとつい寄り道をしたくなるのが一の宮でした。

紀伊(きい)の国とは、今の和歌山県と三重県の南部を含む地域です。今は熊野川が県境となっていて熊野市は三重県ですが昔は紀伊の国でした。さらに古代には紀伊半島の南部は熊野国造がいて熊野の国があったのではないかと云われています。

日前国懸神宮(ひのくまくにかかすじんぐう)は、日前神宮(ひのくまじんぐう)と国懸神宮(くにかかすじんぐう)の二つの神社が同じ境内に並んで鎮座しているという神社です。二つは別々の社格なのですが両社とも延喜式で明神大社に記載される古社であります。
由緒書きによれば、主祭神は・・、
日前神宮は「日前大神(ヒノクマノオオカミ)こと日像鏡(ひがたのかがみ)」。
国懸神宮は「国懸大神(クニカカスノオオカミ)こと日矛鏡(ひぼこのかがみ)」。
社伝によると、石凝姥命(イシコリドメノミコト)が天の岩戸の前で、日像鏡、日矛鏡、そして「三種の神器」である八咫鏡を製作し、三体とも天孫降臨の際にもたらされた。天道根命(アマノミチネノミコト)が紀伊国造に任ぜられ、日像鏡を日前神宮に、日矛鏡は国懸神宮へ、それぞれ御霊代としてお祀りしたのが両宮の創祀である・・とのことです。

社号標と鳥居。↓
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案内立札。↓
15030201日前神社F分岐.jpg

日前神宮。↓
15030201日前神社D日前神社.jpg

国懸神宮。(たぶん同じ造りと思われます)。↓
15030202國懸神社B.jpg

国懸神宮の拝殿。↓
15030202國懸神社E拝殿.jpg

国懸神宮の本殿。↓
15030202國懸神社C本殿.jpg

そして、相殿には・・、
日前神宮は「思兼命(オモイカネノミコト)、石凝姥命(イシコリドメノミコト)」。
国懸神宮は「玉祖命(タマノオヤノミコト)、明立天御影命(アケタツアメノミカゲノミコト)、鈿女命(ウズメノミコト)」。が祀られています。
明立天御影命を除けば天の岩戸に登場する神様で、いずれも祭祀氏族の神様です。

一方、神宮を創祀した天道根命は、一書によると十種の神宝を持って天降りした「饒速日命(ニギハヤヒノミコト)」のお伴の内の一人ということです。古事記には、東征するイワレビコに帰順したと伝えられるニギハヤヒですが、神武天皇に紀伊国造を命じられたという天道根命はニギハヤヒの従者というのも興味深いことです。

紀州というとまずは徳川御三家八代将軍吉宗が頭に浮かびますが、高野山も熊野古道もあるのです。高野山はまた別の機会(四国八十八ヶ所巡礼エピソード)があるでしょうから、熊野をおまけの話とします。
熊野には熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)があって熊野詣と呼ばれるほど信仰篤い地であり、しかも天皇(正確には上皇)が詣でたほどなのに何故「一の宮」ではなかったのでしょうか。本宮大社は、延喜式で明神大社に列せられていますので一応それなりに格式は認められていたと思いますので余計に不思議に思うのです。冒頭でも記したように、もし、熊野の国があったなら「熊野の国一の宮」となっていたのかな、と思いますし、そのあたりに事情があるのかもしれません。熊野はまことに興味深い地であります。そして熊野古道を歩いてみたいな・、と思っているこの頃です。わーい(嬉しい顔)

熊野本宮大社。↓
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熊野本宮大社の旧社地大斎原にある大鳥居。↓
14012702大斎原へC大鳥居.jpg

posted by ペコム at 08:33| 一の宮

2015年09月01日

上総国一宮〜玉前神社

一の宮、二の宮、三の宮の神社の格付けがされたのは平安時代の頃らしい・・・のですが、昔から、旅先で看板などを見つけるとつい寄り道をしたくなるのが一の宮でした。

上総(かずさ)の国とは、今の千葉県の中部です。上総の国は親王を国主にあてるいわゆる太守の国でした。ですから官位も一つ二つほど高く格の違いがあったようです。

玉前神社(たまさきじんじゃ)は、延喜式で明神大社に記載される古社であります。戦国の時代に北条氏と里見氏の争いで戦火にあい社殿を初め古文書や宝物を消失し多くは不詳となりましたが、上総の国で大社は一つ、しかも明神大社で古くから朝廷・豪族の信頼が厚く格式も高かったようです。
由緒書きによれば、主祭神は「玉依姫命(タマヨリヒメノミコト)」。
古事記によれば、玉依姫は綿津見神の娘で神倭伊波礼比古命(カムヤマトイワレビコノミコト、後の神武天皇)の母となる人です。天孫ニニギノミコトと木花咲夜姫と間に生まれた御子ホオリノミコト(山幸彦)と結ばれた豊玉姫(トヨタマヒメ)は姉にあたりその御子ウガヤフキアエズの乳母となりのちに妻となって、そして、神武天皇が産まれます。ニニギノミコトとホオリノミコトとウガヤフキアエズノミコトは日向三代と云われていて神話の重要な部分でもあります。つまり、山の神(大山祗命)と海の神(海津見神)の血を受け継いで初代天皇が生まれた…と知らしめたかったのではないかと言う部分です。逆に考えますと、大山祗と海津見がいかに無視できない存在であったか・ということを想像してしまいます。

社号標と鳥居。↓
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拝殿。↓
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私が訪れた時(今年の3月)は、本殿の工事中でした。お参りしていましたら神主さんに「今、工事中で神様は参集殿におられます。そちらもお参りください」とのことでした。側だけの改修だと思ったのですが中も含めた大改修のようです。これも何かの縁、微小ながら寄進をしてきました。

工事中だった拝殿と本殿。↓
15031302玉前神社D工事中.jpg

神様は敷地内にある参集殿を仮殿として引っ越しされていました。↓15031302玉前神社H仮殿.jpg

余談ですが、織田信長は上総介(かずさのすけ)を名乗っていました。吉良上野介などもそうですが、その国の国主でも国司でもないのに何んで?と昔から不思議に思っていました。信濃の国に縁のなさそうな人が「信濃守」って不思議でしょう(笑)。ある時、この時代の「上総介、上野介、あるいは信濃守」などは単なる官位官職(のようなもの)であったと聞き長い間の疑問が解けました。疑問が解けた時、なんとスッキリとしたことでしょう。わーい(嬉しい顔)

posted by ペコム at 11:19| 一の宮